おはようござます。受難週の土曜日を迎えました。
神様からの恵みと祝福の中で深い睡眠を与えれて最高の目覚めに感謝します。
明日は、いよいよイースターの日曜日を迎えます。


今朝もこころのビタミンを通して慰めと励まし・希望に満ちている世界のベストセラーバイブルを紐解いて共に学んでいきましょう!

①神様があなたを愛して下さっている真実と
②救い主イエス様との出会いを体験されていない方々に
③クリスチャンで教会から離れている方々へ
お届けする目的で書かせて頂いています。その為に、キリスト教の専門用語は、
極力省き生活に適応できるように
神様に必死に祈りながら知恵を求めて拙い未熟な文章力で書かせて頂いています。

※既にクリスチャンの方は、所属先のキリスト教会の牧師先生方から深い聖書の学びをすることを推奨します。
新約聖書:ヨハネの福音書1章1節~5節 リビング訳/新改訳
1.2節 まだこの世界に何もない時から、キリストは神と共におられました。
キリストは、いつの時代にも生きておられます。キリストは神だからです。
3節 このキリストが、すべてのものをお造りになりました。そうでないものは一つもありません。
4節キリストには永遠のいのちがあります。全人類に光を与えるいのちです。
5節 そのいのちは暗闇の中でさんぜんと輝いていて、どんな暗闇もこの光を消すことはできません。
ヨハネの福音書 1:1-5 リビング訳

日常の例え話を交えて、現代の生活に適用できる3つのポイントをお伝えします。
Q⒈「初めにことばがあった」とは、どういう意味ですか?

ここでの「ことば(ロゴス)」とは、イエス・キリストを指します。
この言葉は「神の意志」や「創造の力」を表し、世界が始まる前から存在していた永遠の存在という意味です。
生活の例え①
たとえば、建築家が家を建てる前に図面を描き、意図を持って設計するように、この世界も偶然ではなく、意図と愛を持った「ことば=イエス」によって始まったということです。
つまり、私たち一人ひとりも「偶然の存在ではなく、意味を持って造られた存在」だと語っているのです。

Q2「ことばは神と共にあった。ことばは神であった」という表現は、なぜ大切なのですか?

これは、イエスが単なる偉大な教師や預言者ではなく、「神ご自身」であるという核心的な教えです。
生活の例え②
たとえば、電気のスイッチを入れれば明かりがつくのは、電気そのものが通っているからです。
スイッチ(道具)ではなく、電気(本質)こそが光をもたらす力です。
同じように、イエスは神の代理ではなく「神そのもの」であり、私たちに命・光・希望を直接与える存在なのです。
★このことは、「神様は遠くにいる存在ではなく、私たちの近くに来てくださる存在だ」という安心感を与えてくれます。

Q.3「光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった」とありますが、私達にどう関係するのですか?

「光」はイエスの命と真理、「闇」は罪や絶望、迷いを象徴しています。
この世には多くの不安や争い、孤独がありますが、どんなに闇が深くても、光が来れば必ず闇は引きます。
生活の例え③
たとえば、真夜中に小さなロウソクを灯しても、周囲が明るくなりますよね。光は決して闇に負けません。
同じように、私たちが人生の暗闇にいるときでも、イエスという光があれば希望が生まれるのです。
信仰を持っていない方にも、「あなたの人生にも光は届く」というこのメッセージは、心を温めるものになるでしょう。

光は闇に輝く—希望と命の源:まとめ

ヨハネ1章1~5節は、「すべての始まりに神の愛があった」ことを教えています。
★今を生きる私たちにも「希望と意味がある」と語りかけています。信じる・信じないに関わらず、
「人生に光が差す」という真理は、すべての人に届けられているのです。

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