おはようござます。受難週の金曜日を迎えました。
★主イエス様が私の罪の為に十字架に身代わりとなり死んで下さった事を
私達クリスチャンにとって本当に大切な記念する日です。
★今日は、神様の大きな深い愛を思いながら一日を過ごさせて頂きます。


今朝もこころのビタミンを通して慰めと励まし・希望に満ちている世界のベストセラーバイブルを紐解いて共に学んでいきましょう!

①神様があなたを愛して下さっている真実と
②救い主イエス様との出会いを体験されていない方々に
③クリスチャンで教会から離れている方々へ
お届けする目的で書かせて頂いています。その為に、キリスト教の専門用語は、
極力省き生活に適応できるように
神様に必死に祈りながら知恵を求めて拙い未熟な文章力で書かせて頂いています。

※既にクリスチャンの方は、所属先のキリスト教会の牧師先生方から深い聖書の学びをすることを推奨します。
新約聖書:ヨハネの福音書 20:19-20 リビングバイブル
19節 同じ日曜日の夕方のことです。弟子たちは、ユダヤ人を恐れて戸にしっかりかぎをかけ、
肩を寄せ合うようにして集まっていました。
その時、突然イエスが一同の中にお立ちになったのです。「平安があるように。」
イエスはまず、こうあいさつされてから、
20節 手とわき腹をお見せになりました。主を見た弟子たちの喜びは、どれほどだったでしょう。」
ヨハネの福音書 20:19-20 JCB


今朝の聖書の言葉は、主イエス様が、十字架で死んで弟子たちが、怯えていた時に復活の主が現れて驚きと喜びの様子が表れています。
そこで、日常の例え話を交えて、現代の生活に適用できる3つのポイントをお伝えします。
Q⒈:弟子たちはなぜ戸を閉めて隠れていたのですか?

弟子たちは、イエスが十字架で処刑されたあと、自分たちも捕らえられるのではないかとビクビク恐れていました。
生活の例え①
仲間が突然トラブルに巻き込まれたとき、自分にも影響が及ぶのではと不安になることがありますよね。
彼らはまさにそのような状態で、未来が見えず、恐れに支配されていました。
★現代の私たちも、予期せぬ出来事や不安なニュースに囲まれる中で、心の扉を閉ざしてしまうことがあります。
そんな私たちに、イエス様はドアの向こうからでも来てくださるのです。

Q2:「イエスが来て、真ん中に立ち、『平安があなたがたにあるように』と言われた」とありますが、これはどんな意味ですか?

イエスはただ「大丈夫」と励ましたのではなく、「平安=shalom(シャローム)」という深い意味の言葉を使いました。
これは、外的な状況に関係なく与えられる「心の安らぎ」「関係の回復」を含んだ祝福の言葉です。
たとえば、嵐の中にいても、自分が安全な船に乗っていれば落ち着いていられますよね。
イエス様の「平安」は、そんな嵐の中でも揺るがない心の安定を与えてくれます。
恐れや混乱の真っ只中であっても、イエス様は私たちの中心に立ち、静かに「平安があるように」と語ってくださいます。
神様を信じる・信じないにかかわらず、この言葉は多くの人に癒しと希望をもたらします。

Q.3:「手と脇腹を見せられた」とありますが、それはなぜですか? 私たちの生活にどう関係しますか?

イエス様は、十字架の傷を持ったまま弟子たちの前に現れました。
生活の例え③
これは、「私は確かに苦しみを通って復活した」という証であり、「あなたの痛みも理解している」というメッセージでもあります。
たとえば、大きな失敗や悲しみを経験した人の言葉には、深い説得力がありますよね。
イエス様も、ただ「救い主」ではなく、苦しみを経験された「共感する救い主」なのです。
私たちが人生の中で傷つき、心が折れそうになる時、「あなたの傷を知っている」「あなたと同じように痛んだ」と語ってくださる存在がいることは、大きな慰めと力になります。

復活の主イエス様と再会の喜びの瞬間:まとめ

ヨハネの福音書20章19節~20節は、閉ざされた心に入ってくださるイエス様・平安を与えるイエス様そして痛みに寄り添うイエス様の姿を示しています。
★信仰を持っていない人にも、「恐れの中でも希望は必ず訪れる」という普遍的なメッセージが届く箇所です。

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