おはようござます。木曜日を迎えました。
神様からの恵みと祝福の中で深い睡眠を与えれて最高の目覚めに感謝します。


今朝もこころのビタミンを通して慰めと励まし・希望に満ちている世界のベストセラーバイブルを紐解いて共に学んでいきましょう!

①神様があなたを愛して下さっている真実と
②救い主イエス様との出会いを体験されていない方々に
③クリスチャンで教会から離れている方々へ
お届けする目的で書かせて頂いています。その為に、キリスト教の専門用語は、
極力省き生活に適応できるように
神様に必死に祈りながら知恵を求めて拙い未熟な文章力で書かせて頂いています。

※既にクリスチャンの方は、所属先のキリスト教会の牧師先生方から深い聖書の学びをすることを推奨します。
新約聖書:マルコの福音書16章2節~6節 リビングバイブル
2節 「その翌朝早く、日が昇るとすぐ、女たちは香料を持って墓へ急ぎました。
3節 女たちには気にかかることが一つあり、道々、そのことばかり話し合っていました。
どうしたら、あの大きな石を入口から取りのけることができるかということでした。
4節それがどうでしょう。墓に着いてみると、あの重い石は動かしてあり、入口が開いているではありませんか。
5節 中に入ると、右のほうに白い服を着た青年(天使)が座っています。女たちはびっくりして、息も止まるほどでした。
6節 その青年がおもむろに口を開きました。
「そんなに驚くことはありません。十字架につけられたナザレのイエスを捜しているのでしょう。
あの方はもうここにはおられません。復活されたのです。
ごらんなさい。ここが、あの方の納められていた場所です。」
マルコの福音書 16:2-6 リビング訳


今朝の聖書の言葉も私達にとって慰めになる主イエス様が死から復活した希望の溢れる内容です。
そこで、日常の例え話を交えて、現代の生活に適用できる3つのポイントをお伝えします。
Q⒈:なぜ婦人たちは「非常に早く、日の出とともに」墓に向かったのですか?

婦人たちは、イエスの遺体に香油を塗るために墓へ行きました。
これは、愛と敬意を込めた行為であり、「もうできることはないけれど、最後までできることをしたい」という思いからでした。
たとえば、大切な人が亡くなったとき、花を供えたり、思い出の品をそっと飾ったりすることがありますよね。
それは「もう会えない」けれど「忘れない」「大切だった」と伝える行動です。
婦人たちも、悲しみの中で愛を表すために墓に向かったのです。
★その姿からは、「小さくてもできることを真心で行う大切さ」が伝わってきます。

Q2:婦人たちは「誰が墓の石を転がしてくれるだろう」と心配していましたが、

彼女たちは大きな石の前に立ち止まり、「自分たちの力ではどうにもできない」と感じていました。
しかし、実際には神の力によって石はすでに転がされていました。
たとえば、人生の中で「これはもう無理だ」と思える問題にぶつかることがありますよね。
病気、経済的な困難、人間関係の行き詰まりなど…。
でも、ふとした瞬間に、思いもよらない助けや道が開かれることがあります。それは偶然ではなく、神の備えかもしれません。
この場面は、「人間の限界を越える神の助けがある」というメッセージを私達に伝えています。

Q.3:天使が「イエスはよみがえられました」と告げた時、それはどういう意味で、私達の生活にどう関係しますか?

これは、死が終わりではなく、新しい命の始まりであるという宣言です。
生活の例え③
人生の絶望の中に光が差し込んだ瞬間でした。
たとえば、大切な夢を諦めざるを得なかった人が、別の道で新しい喜びを見つけることがありますよね。
「人生が終わった」と思ったところが、「人生が始まり」になることがあるのです。
イエスの復活は、「あなたの人生にも新しい始まりがある」という神からのメッセージです。
過去の失敗、傷、痛みを越えて、新しく生きる希望があることを教えてくれます。
★まだ信仰を持っていない人にも、「絶望の後に希望がある」というこの出来事は、心に深く響く励ましになるはずです。

恐れから喜びへ—復活がもたらす新しい始まり:まとめ

マルコ16章2~6節は、「人の力では動かせないものも、神様にはできる」「絶望の先に新しい命がある」ことを教えてくれます。
★人生に疲れている人、立ち止まっている人にとって、神様は必ず「開かれた墓=新しい道」を用意してくださっているのです。

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