おはようござます。火曜日の朝を迎えました。
久しぶりの冬に戻った寒い朝を迎えました。

今朝もこころのビタミンを通じて世界のベストセラーバイブルで共に学んで見ませんか?

今朝もこころのビタミンを通して慰めと励まし・希望に満ちている世界のベストセラーバイブルを紐解いて共に学んでいきましょう!

①神様があなたを愛して下さっている真実と
②救い主イエス様との出会いを体験されていない方々に
③クリスチャンで教会から離れている方々へ
お届けする目的で書かせて頂いています。その為に、キリスト教の専門用語は、
極力省き生活に適応できるように
神様に必死に祈りながら知恵を求めて拙い未熟な文章力で書かせて頂いています。

※既にクリスチャンの方は、所属先のキリスト教会の牧師先生方から深い聖書の学びをすることを推奨します。
新約聖書:ヨハネ12章24節~26節・リビングバイブル
24節 よく言っておきます。畑にまかれる一粒の麦のように、わたしも地に落ちて死ななければなりません。そうしなければ、いつまでたっても一人のまま、一粒の種のままです。しかし、死ねば多くの新しい実が生じ、新しいいのちが豊かに実を結ぶことになります。
25節 この地上のいのちを愛するなら、結局はそれを失うだけです。しかし、地上のいのちに執着しなければ、代わりに永遠の栄光を受けるのです。
26節 わたしの弟子になりたい者は、わたしについて来なさい。わたしに仕える者は、わたしのいる所にいなければならないのですから。わたしに従う者に、父は報いてくださるのです。
ヨハネの福音書 12:24-26 リビング訳

この節から学べる3つの重要なポイントを以下にまとめます。
※今朝の聖書のストーリーは、神様の深い無限の愛を表現する為に現代の私達に理解できるように
誇張して表現していますが、ご理解の程宜しくお願いします。
質問1 主イエス様が『一粒の麦が地に落ちて死ななければ』と言ったのは、どういう意味ですか?」

ヨハネ12:24でイエスは、「一粒の麦が地に落ちて死ななければ、単なる一粒のままだが、死ねば豊かな実を結ぶ」と語っています。
これは、自己犠牲によって新しい命が生まれることを示しています。
例えば、農家が種を最初に蒔くとき、それは一粒のままでは何も変わりませんが、土に埋められることで発芽し、多くの実を結びます。
★同じように、私たちの人生でも、自分の利益だけを考えずに他者のために生きるとき、本当の意味で豊かさを得ることができます。

質問2: 「自分を捨てるとは、具体的にはどのようなことを意味するのでしょうか?」

主イエス様は、ヨハネ12:25で「自分の命を愛する者はそれを失い、世にあって憎む者は永遠の命を保つ」と言っています。
これは、私たちが自分中心の生き方を捨てることで、より大きな目的を見出すことを意味します。
例えば、ある人がキャリアの成功ばかりを追い求め、家族や健康を犠牲にしてしまうことがあります。
しかし、バランスを取り、他者との関係を大切にすることで、より満ち足りた人生を送ることができます。
★神様は、私たちが自分のためだけでなく、他者のために生きることを求めておられます。

質問3: 「この教えを日常生活でどう活かせますか?」

イエス様はヨハネ12:26で、「わたしに仕えたいと思うなら、わたしに従いなさい」と語られています。
これは、日々の生活の中で神の愛に従い、謙遜に仕えることの大切さを教えています。
例えば、仕事場で同僚が困っているときに、自分の予定を優先するのではなく、手を差し伸べることができます。
また、家族の中でお互いを思いやる小さな行動が、結果的により良い関係を築くことにつながります。小さな犠牲の積み重ねが、実りある人生をもたらすのです。

一粒の麦の教え:自己犠牲が生み出す豊かな実り:まとめ

★イエス様は私たちに、自己犠牲と愛に満ちた生き方を示されました。
★一粒の麦のように、自分を捨てることを恐れず、神様の愛に従って生きることで、豊かな人生が与えられます。
今日から、どんな小さなことでも、他者のためにできることを考えてみませんか?

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