おはようござます。1週間の折り返しの木曜日の朝を迎えました。
今朝も晴天に恵まれた朝を迎えました。


今朝は、慰め、励ましの、希望に満ちた世界で最も売れている聖書を解き明かしながらこころのビタミンを通して一緒に学びましょう!

①神様があなたを愛して下さっている真実と
②救い主イエス様との出会いを体験されていない方に
③クリスチャンで教会から離れている方々へ
私はあなたに神様の愛のメッセージを伝える為にこの文章を書きました。
その為にキリスト教用語を省略して日常生活に簡単に適応できるする為です。

※クリスチャンの方は、所属先のキリスト教会の牧師先生方から深い聖書の学びをすることを推奨します。
新約聖書: ローマ人への手紙 7:7-8 リビング訳
「私が、律法は悪いものだと言っていると思いますか。
絶対にそんなことはありません。それどころか、律法が私の罪を明らかにしてくれたのです。
もし、「むさぼってはならない」(出エジプト20・17)という律法がなければ、
私は自分の心にあるむさぼりを知らなかったでしょう。
ところが罪は、この律法を逆用して、このような欲望が悪いことをわからせながら、
かえって、あらゆるむさぼりを、私のうちにかき立てました。
律法さえなかったなら、罪を犯すこともなかったでしょう。
ローマ人への手紙 7:7-8 リビング訳


「やってはいけない」と言われると、なぜかやってみたくなる❓そんな経験はありませんか?
ローマの手紙7章7~8節は、この人間の心の不思議を描いています。
そこには「律法(ルール)がなければ罪は意識されない。
しかし、律法があることで、かえって罪の欲がかき立てられる」と記されているのです。
現代の生活に当てはめて、現代の生活に適用できる3つのポイントをお伝えします。
①「禁止」はかえって心をざわつかせる(例:立入禁止の公園)

子どもが「ここには入らないでね」と言われた公園の草むらに、興味津々で入っていく場面を想像してください。
何も言われなければ気にしなかった場所でも、「ダメ」と言われた瞬間、なぜか心がそちらへ傾いてしまう。
それが人間の性質です。神様がくださった戒め(ルール)は、元々は私達を守るためのものでしたが、
★罪の性質はそれを逆手にとって「禁じられていること」に惹かれてしまうのです。

②「自分ルール」で正当化してしまう(例:無断駐輪)

駅前に「駐輪禁止」の看板があっても、「今日は雨だし、ちょっとだけなら…」と勝手に自分ルールを作ってしまうことがあります。
それが繰り返されると、やがて罪の感覚は薄れていきます。
★神様を知らないと、私たちはどこまでも「自分中心」に物事を考え、本来の善悪の基準を見失ってしまうのです。

③「知らなかった」では済まされない(例:税金の未申告)

「知らなかった」という理由で税金を申告しなかった人が後で追徴課税を受けたという話もよくあります。
たとえ無知でも、ルールを破れば結果はついてきます。
★同じように、神様の前では、知らず知らずのうちに罪を重ねてしまっていることがあるのです。

ダメと言われると、やりたくなるのはなぜ?:まとめ

★私たちが罪を犯すのは、神様のルールが悪いからではなく、私たちの内側にある「自分の思い通りにしたい」という性質のためです。
しかし神様は、この罪に気づかせ、救うためにイエス・キリストをこの世界に遣わしてくださいました。気づくことが、救いの第一歩です。

コメント