おはようござます。水曜日を迎えました。
晴天の気持ち良い清々しい朝を迎えました。


今朝は、慰め、励ましの、希望に満ちた世界で最も売れている聖書を解き明かしながらこころのビタミンを通して一緒に学びましょう!

①神様があなたを愛して下さっている真実と
②救い主イエス様との出会いを体験されていない方に
③クリスチャンで教会から離れている方々へ
私はあなたに神様の愛のメッセージを伝える為にこの文章を書きました。
その為にキリスト教用語を省略して日常生活に簡単に適応できるする為です。

※クリスチャンの方は、所属先のキリスト教会の牧師先生方から深い聖書の学びをすることを推奨します。
旧約聖書:創世記 2:15-17 リビング訳
「神は、人をエデンの園の番人にし、その管理を任せました。
ただし、一つだけきびしい注意がありました。「園の果物はどれでも食べてよい。だが、『良心の木』の実だけは絶対に食べてはいけない。
それを食べると、正しいことと間違ったこと、良いことと悪いことについて、自分勝手な判断を下すようになるからだ。それを食べたら、あなたは必ず死ぬ。」
創世記 2:15-17 リビング訳


創世記2章15〜17節では、神様が人をエデンの園に置き、世話を任せたうえで「善悪の知識の木の実だけは食べてはならない」と命じました。
この箇所は、単なるルールというより、人間に与えられた「自由」と「信頼」、そして「責任」の関係を示しています。
現代の生活に置き換えて、罪のはじまりを3つの視点から見てみましょう。
① 信頼関係を壊す小さな裏切り:職場のパスワード共有の例

会社で「このパスワードは他人に教えないで」と言われていたのに、同僚から頼まれて軽い気持ちで教えてしまう。
この一瞬の判断が、情報漏洩や信頼喪失につながります。
★アダムとエバも、神様の信頼の中で生きていたのに「ちょっとくらい大丈夫」と判断して木の実を取った。 その小さな裏切りが、罪の始まりでした。

②自分で「善悪を決める」姿勢:家庭内ルールを無視する例

ある家庭では「スマホはリビングだけで使う」というルールがありましたが、子どもが「自分の部屋で使ったって悪くない」と判断して隠れて使い続けました。
②
やがて成績が下がり、親子の関係にもひびが入ります。
★神様が「食べるな」と言った理由を無視して「自分で正しいかどうかを決める」ことが、まさに罪のはじまりです。

③ 与えられた自由の中で責任を忘れる:使い放題の社用車の例

ある社員に社用車の自由使用が認められていました。
しかし、個人のレジャーにも頻繁に使い、ガソリン代を会社に請求していたことが発覚。
自由を与えられていたのに、責任を忘れた結果、処分を受けました。
エデンの園も自由な場所でしたが、「この実だけは食べないで」という一線がありました。
★それを越えた瞬間、自由が破壊され、罪が始まったのです。

なぜ“ダメ”と言われたのか?自由と責任の境界線:まとめ

★罪とは、神様の存在を知らなくても、日々の小さな選択の中に芽生える「自分中心の判断」や「信頼の裏切り」から始まるのです。
★神は人に自由を与えましたが、それは無制限ではなく、愛と責任に基づくものでした。
私たちがもう一度「なぜルールがあるのか?」を見つめ直すと、創世記の教えは現代にも深く通じていると気づけるでしょう。

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