私について来たいと思うなら自分の十字架を【動画解説付】※スマホの方は、Googlechromeでご覧下さい。

日々の感謝

おはようござます。水曜日の朝を迎えました。

今朝もこころのビタミンを通じて世界のベストセラーバイブルで共に学んで見ませんか?

糸数
糸数

★こころのビタミンの書かせて頂いている目的は世界のベストセラー聖書に記されている大切な事それは?

①神様があなたを愛して下さっている真実と
②救い主イエス様との出会いを体験されていない方々に
③クリスチャンで教会から離れている方々へ

お届けする目的で書かせて頂いています。その為に、キリスト教の専門用語は、
極力省き生活に適応できるように

神様に必死に祈りながら知恵を求めて拙い未熟な文章力で書かせて頂いています。


糸数牧師
糸数牧師

※既にクリスチャンの方は、所属先のキリスト教会の牧師先生方から深い聖書の学びをすることを推奨します。

新約聖書:マタイの福音書 16章24~25節


24節 それからイエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。

25節 自分のいのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者はそれを見出すのです。
マタイの福音書 16章24~25節
 新改訳聖書

24節 それから、弟子たちに言われました。だれでもわたしの弟子になりたければ、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしについて来なさい。

25節 いのちを大事にする者は、いのちを失うことになります。しかし、わたしのためにいのちを投げ出す者は、それをもう一度自分のものにできるのです。
マタイの福音書 16章24~25節リビング訳


糸数
糸数

今日は、新約聖書のマタイの福音書 16章24~25節の聖書の言葉から日常生活に適応できるように共に学んで行きましょう。


生活に適用する3つのポイント        

ポイント① イエス様が「自分を捨て、自分の十字架を背負って私に従いなさい」と言われていますが、具体的にどういう意味ですか?

24節 それからイエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。新改訳聖書


 
24節 それから、弟子たちに言われました。だれでもわたしの弟子になりたければ、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしについて来なさい。 リビング訳



糸数牧師
糸数牧師

答え⑴ とても良い質問ですね。この教えは、第一に「自己放棄」を意味します。


主イエス様は私達に、自分自身の利益や欲望を第一に考えるのではなく、神様の御心を第一にして生きるように求めておられます。

これは自分に自我や欲望を捨て去り、神様のために心を空にすることを意味します。

たとえば、私達が隣人をを助けたり愛したりするとき、その動機が純粋に神様の栄光の為であるなら、自己を超えた奉仕が生まれます。

ポイント②「自分の十字架を背負う」というのはどう理解すれば良いのでしょうか?

24節 それからイエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。 新改訳聖書


24節 それから、弟子たちに言われました。だれでもわたしの弟子になりたければ、自分を捨て、自分の十字架を負ってわたしについて来なさい。 リビング訳

糸数
糸数

答え⑵ 二つ目のポイントとして、「自分の十字架を背負う」ことは、神様に従う中で困難や犠牲を引き受けることを意味しています。


十字架はイエス様が犠牲を払われた象徴ですから、私たちも時には自分の願いや計画を脇に置き、神様のために犠牲を払う覚悟を持つことが求められます。

それが、苦しいことや試練であっても、神様に従う道を歩むために必要な姿勢です。

ポイント③ 「自分の命を救おうとする者はそれを失い、私のために命を失う者はそれを得る」という言葉は、どんな意味でしょうか?

25節 自分のいのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者はそれを見出すのです。
マタイの福音書 16章24~25節
 新改訳聖書



25節 いのちを大事にする者は、いのちを失うことになります。しかし、わたしのためにいのちを投げ出す者は、それをもう一度自分のものにできるのです。
マタイの福音書 16章24~25節 リビング訳


糸数(バルナバハウス前)
糸数(バルナバハウス前)

答え⑶ 三つ目は人生のおける究極で最も大切な「真の命の発見」です。

イエス様は、自分の命や利害を優先することで本当の意味での人生を失ってしまうと教えておられます。
一方、イエス様に従って命を委ねることで、永遠の命や豊かな人生を得ることができるのです。

私について来たいと思うなら?:まとめ

このように、 マタイの福音書 16章24~25節の教えは、現代の日本においても重要なメッセージを持っています。

神様に従う事は、楽しく笑顔の事ばかりではないかももしれません。

その為にも神様が何を望んでいるかも祈り、神様の仕えて自分を優先するにではなく
神様を優先する事が出来るように日々作り変えて下さい。

コメント

タイトルとURLをコピーしました