おはようござます。気持ち良い晴天の朝を迎えました。
2025年2月の最初の日の土曜日の朝を迎えました。
今朝もこころのビタミンを通じて世界のベストセラーバイブルで共に学んで見ませんか?
今朝もこころのビタミンを通して慰めと励まし・希望に満ちている世界のベストセラーバイブルを紐解いて共に学んでいきましょう!
①神様があなたを愛して下さっている真実と
②救い主イエス様との出会いを体験されていない方々に
③クリスチャンで教会から離れている方々へ
お届けする目的で書かせて頂いています。その為に、キリスト教の専門用語は、
極力省き生活に適応できるように
神様に必死に祈りながら知恵を求めて拙い未熟な文章力で書かせて頂いています。
※既にクリスチャンの方は、所属先のキリスト教会の牧師先生方から深い聖書の学びをすることを推奨します。
新約聖書:ルカ13章 6節~9節・リビングバイブル
6節 そして、次のようなたとえを話されました。「ある人が、ぶどう園にいちじくの木を植えました。そして、実がなっているかどうか、何度も見に行きました。
ところが、期待はいつも裏切られてばかりです。
7節 とうとう主人は怒って、『こんなろくでもない木は切り倒してしまいなさい』と番人に命じました。『三年も待ったのに、一つも実がなったためしがない。
もうこれ以上、手をかけることはない。何のために土地をふさいでいるのか。』
8節 すると番人は、何とか思いとどまらせようと、なだめにかかりました。
『ご主人様。もう一年だけお待ちください。念入りに肥料をやってみましょう。
9節 それで来年実がなれば、もうけものです。だめなら、それから切り倒しても遅くはありません。』 ルカの福音書 13:6-9 リビング訳
この節から学べる3つの重要なポイントを以下にまとめます。
※今朝の聖書のストーリーは、神様の深い無限の愛を表現する為に現代の私達に理解できるように
誇張して表現していますが、ご理解の程宜しくお願いします。
質問1 「なぜイエス様は実を結ばないいちじくの木のたとえを話されたのですか?」
13:6-9では、ある人がぶどう畑に植えたいちじくの木を見に行きましたが、何年経っても実を結んでいませんでした。
そこで、「この木を切り倒そう」と考えましたが、園丁は「もう1年だけ待ってください。
肥料をやり、世話をします」と願いました。
これは、神が私たちに悔い改めのチャンスを与えてくださっていることを示しています。
例えば、仕事で何度も失敗したとしても、上司が「あと1年チャンスを与えよう」と言ってくれたら、
私たちは努力して成果を出そうとしますよね?
★神様も同じように、私たちが成長し、実を結ぶまで忍耐強く待ってくださるのです。
質問2: 「このたとえ話は私たちの生活にどのように関係していますか?」
このたとえ話は、私たちがこの激動の時代をどのように生きるべきかを教えています。
神は、私たち一人ひとりに使命を与えておられますが、ただ生きているだけではなく、実を結ぶことが求められています。
あくまでも私の体験談ですが学生の頃、試験前に「まだ時間があるから勉強しなくてもいいや」と考えていたら、試験直前になって慌ててしまいます。
同じように、私たちも「いつか変わればいい」と思っていると、大切な機会を逃してしまうかもしれません。
神様は、私たちが今日から行動を起こすことを望んでおられるのです。
質問3: 「どうすれば実を結ぶ人生を送ることができるでしょうか?」
人生で実を結ぶためには、毎日、心を耕し、神様の愛という肥料を受け入れることが大切です。
そして、小さなことからでも良い行いを始めることが、成長につながります。
例えば、健康な体を作るには、毎日の食事や運動が重要です。いきなり大きな成果を出すことはできませんが、コツコツと続けることで体は変わります。
同じように、信仰や善い行いも、日々の積み重ねが大切です。
★今日から感謝の気持ちを持って生きること、周囲の人に優しく接することを意識するだけで、神様の望まれる実を結ぶことができるでしょう。
いちじくの木のたとえから学ぶ:神様の忍耐と期待とは?まとめ
★このたとえ話は、私たちに「何を人生の中心にするべきか」を問いかけています。
★このたとえ話は、私たちに「今が変わる時だ」というメッセージを伝えています。
神は私たちに成長のチャンスを与え、実を結ぶことを待っておられます。
今日から、小さな一歩を踏み出して、実りある人生を歩んでみませんか?
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