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癒しとあわれみのまなざし—すべての人に寄り添うイエス様【動画解説付】※スマホの方は、Googlechromeでご覧下さい。

日々の感謝

おはようござます。木曜日を迎えました。

神様からの恵みと祝福の中で深い睡眠を与えれて最高の目覚めに感謝します。

糸数牧師
糸数牧師

今朝もこころのビタミンを通して慰めと励まし・希望に満ちている世界のベストセラーバイブルを紐解いて共に学んでいきましょう!

①神様があなたを愛して下さっている真実と

②救い主イエス様との出会いを体験されていない方々に

③クリスチャンで教会から離れている方々へ


お届けする目的で書かせて頂いています。その為に、キリスト教の専門用語は、
極力省き生活に適応できるように


神様に必死に祈りながら知恵を求めて拙い未熟な文章力で書かせて頂いています。

糸数
糸数

※既にクリスチャンの方は、所属先のキリスト教会の牧師先生方から深い聖書の学びをすることを推奨します。

新約聖書:マタイの福音書9章35節~36節 リビングバイブル


35節 イエスはその地方の町や村をくまなく巡回し、ユダヤ人の会堂で教え、神の国についての福音を伝えられました。また、行く先々で、あらゆる病人を治されました。

36節このように、ご自分のところにやって来る群衆をごらんになって、イエスの心は深く痛みました。


彼らは、かかえている問題が非常に大きいのに、どうしたらよいか、どこへ助けを求めたらよいかわからないのです。ちょうど、羊飼いのいない羊のようでした。
マタイの福音書 9:35-36
リビング訳



糸数(バルナバハウス前)
糸数(バルナバハウス前)

今朝の聖書の言葉も私達にとって慰めになる勇気ち希望の溢れる内容です。



そこで、日常の例え話を交えて、現代の生活に適用できる3つのポイントをお伝えします。

Q⒈:なぜイエス様は「町や村を回って人々を教え、癒した」とあるのですか?

あきひろ君
あきひろ君

イエス様が町や村を訪ねて人々に教え、癒したのは、単に宗教的な行動ではなく、人々の苦しみや悩みに寄り添うためでした。



生活の例え①


たとえば、ある病院の医師が、診察だけでなく患者の話を丁寧に聞き、不安を取り除こうとする姿を想像してみてください。

薬だけでなく「心」にも寄り添うその姿勢が、患者の安心につながるのです。

イエス様も同じように、人々の病だけでなく、心の痛みや孤独にも目を向け、そのすべてに寄り添ってくださいました。

★信仰を持っていなくても「誰かが本気で自分を思ってくれる」という経験は、人の心を温め、人生に希望を与えます。

Q2:「イエス様が、群衆を見て深くあわれまれた」とは、どういう意味ですか?

糸数
糸数

深くあわれまれた」という言葉は、イエス様が人々の状態を見て、心の底から同情し、何とか助けたいという気持ちを持たれたことを表しています。



生活の例え①


たとえば、駅のベンチに座っている年配の人が困っていたとき、誰かが「大丈夫ですか?」と声をかけるだけで、その人は安心するかもしれません。

イエス様は、そうした「心からの思いやり」を持って人々に接したのです。

現代の私たちも、孤独や不安、先の見えない生活に不安を抱えることがあります。

★そんな時、イエス様のまなざしのように、誰かが真剣に心配してくれるだけで、「生きていてよかった」と感じることができるのです。

Q.3:「羊飼いのない羊のようだった」とは、どんな意味で、私たちの生活にどう関係しますか?

糸数牧師
糸数牧師

この表現は、道を見失い、導く者がいないために不安に満ちた人々の姿を示しています。



生活の例え③

たとえば、ナビのない登山で道に迷ったとしましょう。どちらへ進んでいいかわからず不安になります。しかし、案内人がそばにいれば安心して進めます。


現代社会でも「何のために働いているのか?」「どこへ向かって生きていくのか?」といった疑問に直面することがあります。

イエス様は、そんな迷いの中にいる人々に「道しるべ」として寄り添い、生きる意味と希望を与えてくださいます。

★信じるかどうかに関係なく、「誰かが自分の人生の価値を信じてくれている」ということは、大きな力になります。

癒しとあわれみのまなざし—すべての人に寄り添うイエス様:まとめ

糸数
糸数

マタイ9章35~36節は、イエス様がただ奇跡を行った人ではなく、心から人々に寄り添い、導こうとされた方であることを示しています。

★私たちもまた、その愛に触れることで、人生の中に希望を見いだせるのです。




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