おはようござます。恵みの雨の金曜日の朝を迎えました。
久しぶりの冬に戻った寒い朝を迎えました。

今朝もこころのビタミンを通じて世界のベストセラーバイブルで共に学んで見ませんか?

今朝もこころのビタミンを通して慰めと励まし・希望に満ちている世界のベストセラーバイブルを紐解いて共に学んでいきましょう!

①神様があなたを愛して下さっている真実と
②救い主イエス様との出会いを体験されていない方々に
③クリスチャンで教会から離れている方々へ
お届けする目的で書かせて頂いています。その為に、キリスト教の専門用語は、
極力省き生活に適応できるように
神様に必死に祈りながら知恵を求めて拙い未熟な文章力で書かせて頂いています。

※既にクリスチャンの方は、所属先のキリスト教会の牧師先生方から深い聖書の学びをすることを推奨します。
新約聖書:ルカの福音書ルカの福音書10章30節~37節・リビングバイブル・
ルカの福音書10章30節~37節のシンプルな内容に書くと?
ルカの福音書10章30節~37節では、イエスが「善きサマリア人」のたとえを語ります。
ある人が強盗に襲われ、道端に倒れていました。そこを祭司やレビ人が通りかかりますが、助けずに通り過ぎます。
しかし、軽蔑されていたサマリア人がその人を見つけ、手当てをし、宿屋に連れて行き、介抱します。
イエス様はこの話を通して、「あなたの隣人とは誰か?」という問いに対し、「憐れみを持って行動することが真の隣人である」と教えています。
このたとえは、私たちが身分や立場に関係なく、愛と親切をもって他者に接することの重要性を示しています。
新約聖書:ルカの福音書10:30-37 ・リビングバイブル・
30節 イエスは直接答える代わりに、たとえを話されました。「エルサレムからエリコへ旅をしていたユダヤ人が、強盗に襲われました。強盗どもは、身ぐるみはぎ取り、あり金全部を奪うと、その人を殴ったり、蹴ったりして半殺しにし、道ばたに放り出して逃げて行きました。
31節 ちょうどそこへ、ユダヤの祭司が通りかかりました。ふと見ると、旅人が倒れています。でも、めんどうに巻き込まれたくなかったので、道の反対側へ回り、何くわぬ顔で通り過ぎてしまいました。 32節 しばらくすると、今度はレビ人(神殿で奉仕する人)が通りかかりましたが、彼も、倒れている旅人を横目でちらりとながめただけで行ってしまいました。
33節ところが、常日頃ユダヤ人に軽蔑されていたサマリヤ人がたまたま通りかかり、旅人を見つけました。その人をかわいそうに思ったサマリヤ人は、
34節 急いでそばに近づいて、傷口に薬をぬり、包帯を巻いて応急手当をしました。それから自分のろばに乗せ、宿屋まで運んで、一晩中、看病してあげました。
35節 翌日、宿屋の主人にデナリ銀貨二枚を渡し、『あの人を介抱してあげてください。足りない分は、私が帰りに寄って払いますから』と頼みました。
36節 この三人のうちだれが、強盗に襲われた人の隣人になったと思いますか。」
37節 律法の専門家は答えました。「もちろん、親切にしてやった人です。」この答えを聞くと、イエスは言われました。「そのとおりです。あなたも同じようにしなさい。
ルカの福音書 10:30-37 リビング訳

この節から学べる3つの重要なポイントを以下にまとめます。
※今朝の聖書のストーリーは、神様の深い無限の愛を表現する為に現代の私達に理解できるように
誇張して表現していますが、ご理解の程宜しくお願いします。
質問1 「善きサマリア人のたとえ話は、どのような意味がありますか?」

ルカ10:30-37では、ある人が強盗に襲われて倒れているところを祭司やレビ人は素通りしましたが、サマリア人が助けたという話です。
イエスはこの話を通して、私たちが隣人を愛し、助け合うことの大切さを教えています。
例えば、道端で転んで困っている人がいたとき、見て見ぬふりをするのは簡単ですが、手を差し伸べることでその人の人生に温かさと希望を与えることができます。
★私達も、身近な人々に対して「誰が自分の隣人か」を考え、行動に移すことが大切です。

質問2: 「なぜ祭司やレビ人は助けなかったのでしょうか?」

祭司やレビ人は、宗教的な義務や自分の立場を優先し、傷ついた人を無視しました。
彼らは「汚れ」を恐れ、自分たちの宗教的なルールを守ることを優先したのです。
現代に置き換えると、忙しさや自分の都合を優先し、困っている人に手を差し伸べることを後回しにしてしまうことがあります。
例えば、仕事で忙しいときに友人や家族から助けを求められても、「今は手が回らない」と無視してしまうことはありませんか?
★しかし、イエスは「本当の愛は行動に現れる」と教えています。

質問3: 日常生活でこの教えをどのように実践できますか?

善きサマリア人のように、身近な人の必要に気づき、積極的に手を差し伸べることが重要です。
助ける相手は必ずしも身近な友人や家族だけではなく、職場の同僚や困っている見知らぬ人であることもあります。
例えば、電車で困っているお年寄りに席を譲る、職場で落ち込んでいる同僚に声をかけるなど、
小さな親切を積み重ねることで、私たちは社会全体をより良いものにすることができます。
★神様は、私たち一人ひとりに隣人を愛する力を与えてくださるのです。

善きサマリア人の愛:行動する隣人愛とは?:まとめ

★イエス様は「行って、あなたも同じようにしなさい」と語られました(ルカ10:37)。
善きサマリア人のように、どんな状況でも隣人に対する思いやりを忘れずに行動することが、愛を実践する第一歩です。
★今日から、あなたの周りの「隣人」を見つけ、小さな行動から始めてみませんか?

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